第二回 韓日未来フォーラム参加後記 / 香取朱音



 2014年12月20~21日に開催された韓日社会文化フォーラム主催のプログラム、第二回韓日未来フォーラム。同フォーラムに参加した友人の紹介で参加を決めたこのフォーラムに、正直期待をせずに臨んだ。私自身、日韓関係という国と国の関係に興味のない人間はこういった集まりに参加するのにふさわしくない、と考えていたからである。私自身が典型的な日本人である、政治や歴史問題に深い興味や関心がなかったことも、このフォーラムに期待をしていなかった理由であるだろう。しかし、このフォーラムに参加し、非常に多くのものを感じることができた。日韓の違いをある程度理解していたつもりではあったが、フォーラムに参加したことにより、韓国人の考え方だけでなく、様々な日本人の意見も聞くことができ、改めて日韓について考え直すきっかけとなった。

 まず初めに行われた韓国人は日本人に対してどんなイメージを持っているか、日本人は韓国人に対してどんなイメージを持っているか、それぞれ相手国から見た自国民のイメージについての討論では、それぞれの国、国民のイメージについて振り返ることができた。それぞれ相手国のイメージを挙げていくのではなく、日本人は韓国人にどう思われているのだろうか、韓国人は日本人にどう思われているか、ということを想像していく、という形式に感嘆した。そうすることによってそれぞれの経験を話すことにもなり、自分の知らない部分での韓国人と日本人間でなされたやりとりも知ることができたからである。また、自分たちの考える自国のイメージや事実から挙げた項目もあったが、より日韓両国民について客観的に見られる方法であると感じた。イメージとしては従来から日本人が韓国人に抱いてきたと思われるイメージと韓国人が日本人に対して抱いてきたイメージがほとんどであったが、私たちのグループ内で大きく異なっていたのは韓国人の日本に対する劣等感と日本人のアジアにおける優越感という項目であった。私たちの班の韓国人グループは、韓国人は劣等感があると思われていると予想したのに対して日本人グループは、日本人は日本がアジアで一番であると思っているという項目を挙げた。これにはお互い現在はこのようなイメージはないとした。劣等感に関しては、似たようなイメージに関する項目が挙げられていた。そのような韓国が劣っている、遅れている、というイメージを持っていたとしても年齢の高い人に多く、日本人が日本はアジアで一番だと思っているという質問に対しても近年は日本が特別優れているとは思わないことからこのようなイメージが湧かないと回答した。経験に基づいたイメージであったが、相手国民が持っているであろうイメージというよりは日本人・韓国人の中に少なからず内在している自国への意識ではないかと感じた。それぞれ挙げた項目は少なからず自国に対する意識も反映されていると感じた。事実とは関係なく、無意識に日本は勝っていて、韓国は劣っている、という意識を持っている人が日本にはまだまだいるということを表しているのではないか。韓国人は日本人よりもせっかちでなんでも早く早くやりたがる、という性格だというのは前々から言われているが、社会の動きもかなりのスピードで変化している。様々な面における韓国の成長に対し、韓国好きでない一般の人々は急激な成長にまだ気づけていない、とも取れた。私たちのグループで挙がった、社会の急速な変化に気持ちや意識がついていけていない、という意見はまさにその通りである、と同感した。これについては、日韓の差ではなく、日韓両国に言えることだと感じた。

 本フォーラムのハイライトである日韓のメディア報道に対する討論は、1日目の朝日新聞の貝瀬さんの講演を踏まえて2日目に行われた。日韓メディア報道に関して、何が問題であるのか、その原因とは何なのか、正しい日韓報道とは何なのかという議題から話を進める形式であった。私たちのグループでは、日韓メディアのマイナスな報道の原因とはメディアの商業性とメディアの政府との癒着である、という意見でまとまった。これは日韓の国家の差でなく、メディアが持つ特有の性質によるものである。早い段階でこの結論を出した私たちは、正しいメディア報道をするために、私たちにできることはないという結論に無力さを感じた。そこから私たちにできることはなんなのか、という話題に移り、同じグループの日本人参加者の話にグループ全員が耳を傾けた。彼女は、慰安婦の被害者であるおばあさんのところへ直接伺って、当時の話を直接聞くことを実践しているという話だった。日韓両国が抱えている問題は、当事者がいる今だからこそ解決できる、と語ってくれた。竹島問題などの領土問題も資料だけをお互いに持って争っているから解決の糸口が見つからない、それまで第三者が語る話だけを聞いていたが、慰安婦の被害者から直接聞いた話はすんなりと受け入れることができたと話してくれた。当事者に聞いた話が、誰が書いた文よりもどんな人が語る話よりも信用性があり、大事なものである、ということを改めて感じさせられた。彼女が話してくれたように、当事者がいなくなってしまえば、問題は更なる複雑化を起こし、あるいは問題の軽視化が進むことも考えられる。韓国人よりも日本人の方が遥かに歴史問題に疎く、関心がないのは事実だと言えるだろう。学校で歴史を学ぶ時も、歴史はこれまでに起こった事実を知ることであり、入試のための道具である、という印象が強い。感情に訴えかけるような教え方もせず、植民地に関して詳しく記述した教科書が作られるわけでもない。しかし韓国にとって大戦の時期は日本の植民地支配の時期であり、日韓メディア報道の根底にある歴史問題に対してより詳細にならざるを得ない。このような話には聞いていた両国の歴史教科者と歴史教育の違いについて面と向かって向き合うことができた。友人との話の中で歴史問題、歴史教科書の話題になった時には、今考えれば拒否感を持ちながら聞いていたため、面と向かって受け入れることもできていなかったように思う。しかし、今回自分自身が討論の場で実際に日本人・韓国人の先入観や偏見のない話に感銘を受けながら、日韓両国が抱える問題について向き合おうという意識が芽生えた。また、慰安婦の話を聞いていた韓国人のメンバーたちも、そこまでするのはすごい、と感嘆していた。こういったデリケートな問題で日韓交流が、本当の意味での交流であるような気がした。

 また、最後の討論で私は反韓(嫌韓)・反日感情問題について討論した。私がこのテーマを選んだ理由は、すべての元にあるのは感情であると思ったからである。嫌韓・反日感情問題以外には、歴史問題、文化交流などがあったが、歴史問題や領土問題によって反日感情が生まれ、文化交流によって日本・韓国に対する好意的な感情が生まれるのである。政治の世界は感情で動くというよりは、物質的な動きが中心となるが、それを報道するメディアが国民に伝えるのは、歪曲された事実や誇張された事実も含めた事実である。それらの事実を伝えると共に、メディア報道は国民に何らかの感情を抱かせる。人間の根底であるこのテーマに対して、他の反日・嫌韓感情問題を受動的に受け止めているのが問題であり、情報を見極め、正しい情報を選んだ上で享受をする必要があるという討論を行っていた。最終討論の手順の中にあった、具体例を挙げてみる、という項目を通して、嫌韓・反日感情を表す例についてそれぞれ挙げたが、そこでも私が今まで出会うことのなかったエピソードを聞くことができた。日本語の単語を使うと日本語を使うな、と嫌悪感を示す、といったものがその一つである。韓国では、植民地時代の影響のせいか日本の外来語のように日本語を一つの単語として使う場合が多い。しかし日本では韓国語を他の外来語のように日本語の一部のように使うことはない。使うことがないというよりは使うことができない。韓国語を学習した人でなければ理解できないからである。韓国語の単語を混ぜて会話することは不可能であるのだ。しかし韓国はそれが可能である。こういった事実について、韓国人の友人、放送などを通して知ってはいたが、それに対し嫌悪感を示す人たちがいるということは討論の中で初めて知った。外来語として使用している日本語に対しても敏感に反応する人たちがいる韓国に対し、そういった光景が見られない日本とでは相手国に対する社会的意識が大きく異なり、また生活の中に日本を感じられる要素が多いという意味で両国民の意識が大きく異なるのも無理はないと思った。

 嫌韓・反日感情をなくすためには、日本・韓国に興味のない人々にきちんとした両国に対する認識を持ってもらうことから始まるだろう。私たちの班で議論した嫌韓・反日感情の中には過激なものは含まなかった。イルベやヘイトスピーチなどである。それらに参加し活動する人々はどこへ行っても存在する過激派であるため、一般性がないと日本人・韓国人メンバー全員で意見が一致し、議論の対象外としていた。嫌韓・反日感情を抱く人々は、きちんとした理由や動機付けから、日本だから、韓国だから嫌いである場合もあるが、人間の悪感情のはけ口として嫌韓・反日である可能性も大いにありうる。そういった感情である場合には日韓両国の国民一人一人の幸福度を高める、国民全員が人生に対する不満や不安がなく、生活水準が高い状態になるしかない、という意見も出た。今私たちにできること、という観点からは、近くにいる人たちに韓国・日本に対する偏見や間違った知識を正すことであるという意見が出た。日本や韓国に興味のない人々は受動的であるため、そういった小さな行動からでも意識の改善は少しずつでもできるのでないかと思った。嫌韓・反日感情をやんわりと抱いている人たちに対しても同様である。

 ここまで見てきたような問題に私たちができることは無関心層に働きかけることであるというのはフォーラム全体で多く出ていた意見である。韓国・日本に好感情を持っている人たちもこういったフォーラムに参加するようになるともっと大きな規模で意識が変わるのではないかと感じた。私のように、ただ好き、という枠を超えることができる貴重な機会である。第二回韓日未来フォーラム代表の笹山さんの最後の言葉にもあったように、「この場で韓国・日本を好き同士が話していても変わることは何もない」ということは事実である。この言葉こそが、これまで人には言わずにいた私の考えそのものであり、深く同感した。韓国・日本に好感情を抱いていない人々が重要なカギを握っている。特に韓国・日本に関心がない人たちにも韓日未来フォーラムのような場所に気軽に参加できるようになれば無関心層・若干の嫌韓・反日の人々の意識も変わるだろう。私の参加したフォーラムで変わることが何一つないとしても、こういった活動が増え、参加する人、問題に対して向き合おうとする人が増えていけば意味のある活動になるのではないか。また、こういった場で行われた討論の内容や若者の知恵のよる新たな見方やアイディアなどが実際に反映されるような機会が持たれれば、大いに意味のあるフォーラムとなると感じた。

 最後に、第二回韓日未来フォーラムを企画・運営・支援してくださったすべての方々と、韓日未来フォーラムを紹介してくださった友人、ユン へジョンさん(윤혜정씨)に感謝の言葉をお伝えしたいと思います。知識も意識も足りない私は、知識が足りなくても若者がこういった場を持つことに意義があるというお言葉のおかげで気負いせずにフォーラムにいい意味で楽に参加できました。実行委員のみなさん、大変だったと思いますが、運営していただきありがとうございました。